二〇二一年五月四日(火・祝)新文芸坐‘’夢の回廊‘’三部作上映に寄せて

二〇二一年五月四日(火・祝)新文芸坐 “夢の回廊”三部作上映に寄せて

 この度は、私たちの映画『あれから』『SHARING』『共想』三作品一挙上映にお越し
くださいまして、誠にありがとうございます。『SHARING』は、新文芸坐での上映は今
回四度目になります。前回の上映は、昨年七月。一度目の緊急事態宣言明けに、座席を半
分に減らしての上映でしたが、お蔭様でチケットは完売。当初私一人だけで舞台挨拶をす
るつもりでいましたが、映画を見に来ると連絡いただいていた山田キヌヲさんと、当日フ
ラッと新文芸坐に立ち寄ってくれた木村知貴さんと急遽挨拶をすることになりました。あ
の時の壇上から見た客席の皆さんの姿は忘れられません。
 同じく『共想』は、昨年十二月に続いて今回新文芸坐では二度目の上映となります。映
画の上映前に、W主演の柗下仁美さん、矢﨑初音さんと共に皆さんに挨拶し、上映後は、
立教大学の先輩で、敬愛する映画監督 黒沢清さんとお話ししました。
 もう一本の『あれから』は、新文芸坐では初の上映となります。『SHARING』と『共
想』に続けて、なんとか『あれから』も上映してもらうことは出来ないだろうか。これま
でお世話になってきた新文芸坐の花俟良王さんにお願いしたところ、そんなこちらの図々
しいお願いを聞き入れてくださり、いや、それどころか、無謀にも(?)入れ替え制では
なく、三本立てで上映しましょうと…。
 「すでに『SHARING』と『共想』は、去年上映して貰ったばかりなので、『あれから
』だけ1本見たい方もいるはずなので、3本入れ替え制にしたら…」という私の日和った考
えに対して、花俟さんは、「お客さんが来てくれるかどうか、やきもきドキドキするのは
1回だけで充分でしょう」と背中を押してくれて、三本立て一挙上映となりました。

 この三本は、それぞれに独立した映画であって、最初から三部作を目指して作ったわけ
ではありません。また「3・11」三部作ではなく、「夢の回廊」三部作と命名したのは、
誤解を恐れずに言えば、「3・11」そのものをテーマにした映画ではないからです。
「3・11」以後を、替えのきかないモチーフに選びながらも、これはあくまでも「東京」
に暮らす人間の視点と私自身の個人的な経験、ファンタズムが結びついた映画に過ぎま
せん。エクスキューズではありません。そのような形でしか私には映画が作れないと思っ
ているからです。花俟さんから興行の上で〇〇三部作という括りがほしいと言われ、頭に
浮かんだのが「夢の回廊」という言葉でした。これは、故・市川森一さんの脚本集のタイ
トルからお借りした言葉です。それに、サミュエル・フラーの『ショック集団』の原題で
ある“SHOCK CORRIDOR”(ショックの廊下)も頭の片隅にありました。夢の回廊のその
先に果たして何(誰)が待っているのか。

 昨年、緊急事態宣言発出で日本中の映画館は、ちゃんとした補償もないまま長期間にわ
たって閉館を余儀なくされました。私自身も必要最低限の食料などの買い出し以外は大人
しく家に引き籠っていました。しかし、五月のある日、「不要不急」の外出は避けてくだ
さいというお上の要請を吹っ切って、電車に乗って都心に出ました。私の大好きな映画館
がどうなっているのか見たいと思ったからです。
 新文芸坐にも行きました。シャッターが降りていて、本日上映の看板もなければ次回公
開予定作のポスターも何も貼られていませんでした。あの時の寂寥たる気持ちをなんと表
現すればいいのか。やはり私にとって、映画は、映画館は必要な欠くべからざるものなの
です。
 子ども時代、ビデオもDVDも配信もなく、映画を見るには、テレビか映画館しかありま
せんでした。見逃してしまうとその映画を次にいつ見られるかわからない。映画を見ると
いう行為そのものがそういうものでした。前回新文芸坐でお話しした黒沢清さんもよくお
っしゃっていますが、映画館は、同じところで笑ったり、泣いたりする共通体験の場であ
ると共に、回りは笑っているにいるのに、自分だけは涙を堪えてスクリーンを凝視してい
るといった、人とは違う自分を発見する場所でもあります。たとえ同じ映画を上映してい
ても、そこで共にスクリーンを見上げる人たちが再び全員揃うことはありません。一期一
会の体験なのです。
 本日の上映が皆様にとって、一期一会の経験として記憶の中に息づくものとなりますよ
うに。またいつか映画館でお会いしましょう。

                         二〇二一年五月四日 篠崎誠